カラヴァッジョの三部作、「聖マタイ伝」。昨日に続き、また訪れました、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会

過去に二度訪れていますが、フラッシュ禁止条件下で、手ブレ軽減機能のない非力なデジカメでは、いつも、ブレブレ画面に不規則な鬼火が立ち上がっていて、悔やみ切れない失敗作でした。年末に購入した五代目のコンパクト・デジカメは、やっと、記憶に残せる仕上がりとなりました。

過去に教会を訪れて、お目当ての作品前に立った時の感動が、当時のブレブレ写真でおぼろげになってしまっていたワケではありません。初めて三部作の正面に立って、左から「聖マタイの召し出し」、「聖マタイと天使」、「聖マタイの殉教」を見上げたときの印象は、こうです。

中央の「聖マタイと天使」の頭上には礼拝堂の半円形明かり窓が設けられています。この高い位置にある明かり窓から差し込む光線は、冬だろうと、春、夏、秋だろうと、そして、午前や午後だろうと、左右に置かれた絵画上に差し込まれている光線と重なることはないだろうと思います。しかし、この小さなスペースの礼拝堂前に立つと、中央の明かり窓から差し込む光は、「聖マタイの召し出し」は右上から、「聖マタイの殉教」は左上から差し込まれている光線のイメージを与えているのではないか、中央の天使はこの高窓から下りてきているように見える、と想像しました。さらに、今立つこの場所に、カラヴァッジョも立ち、あの明かり窓を見上げたのではないかと想像すると、胸が高鳴り、カラヴァッジョに思いを馳せます。

日本から10何時間掛けてローマへやって来て、テクテクと教会まで歩いて訪れ、やっと見上げることができる「聖マタイ伝」三部作。この礼拝堂前に立つ歓びは、世間で言われるように、まさに“聖地巡礼”を果たせる歓びでした。

なので、昨日を含めて三度目の再訪で、ブレブレ写真ではない結果を出せたことはウレシク、帰宅してからも、初めて訪れた時の感動を色褪せずに甦らせるのでした。

ところで、一年前に購入して、つい最近まで103頁にしおり紐を差し込んだままの書籍「カラヴァッジョ灼熱の生涯」をパラパラとペイジを捲っていると、この三部作と呼ばれる絵画について記述がありました。

1600年のローマにおける聖年祭の前の年、サン・ルイ・デイ・フランチェージ教会では、この礼拝堂の両側の壁面にフレスコ画を描く契約を別の画家としていました。画家は何らかの理由で、契約通りのフレスコ画制作に取り組まなかったようです。契約は解除され、代わりに、仲介者を経て、カラヴァッジョに依頼が回ってきたというエピソード。新しく契約を結ぶ際には、予め、フレスコ画を描かないカラヴァッジョが提出した下絵もあってか、フレスコ画ではなく、両壁面に聖マタイの殉教とキリストによる彼のお召し表す絵で装飾るすことを条件として、成立しました。

カラヴァッジョにとっては、人物を等身大で描かなければならないほどの大きな作品を請け負うのは、実は初めてのことだったそうです。ともかく、カラヴァッジョは1599年の終わり頃から制作を始め、翌年の盛夏までには完成させました。それが、現在も展示されている左右の「聖マタイの召し出し」と「聖マタイの殉教」の二点。そう、最初は、中央には作品はなかった。

中央の「聖マタイと天使」はそれより二年後、「聖母の死」の受け取り拒否による失意を乗り越えて、完成した作品。ちなにみ、これも、最初の作品「聖マタイの霊感」はクレームがつき、新しいバージョンとして「聖マタイと天使」になったそうです。

余談ですが、書籍に挿入された「聖マタイの殉教」写真のキャプションに「背景の髭を生やしたヒュルカヌス王は自画像である。」とありました。

「えー。」もっと早く、少なくともローマを立つ前に、この記述を把握しておきたかった。

カラヴァッジョの自画像として有名な作品は、ボルゲーゼ美術館に展示されている「バッカスに扮した自画像」や「ゴリアテ(自画像)の頭を持つダヴィデ」。そして、バルベリーニ宮国立古典絵画館に展示されている「フォロフェルネスの首を切るユーディット」の首があります。これらを観賞する度に、カラヴァッジョの悲喜交々、最後は野垂れ死にする年譜を浮かべ、自画像とされる彼の表情に、ワタシの心は切なく、愛しさを覚えるのでした。

作品「聖マタイの殉教」では、カラヴァッジョは『黄金伝説』から取材したそうです。「エチオピアの王ヒュルカヌスは聖マタイによってキリスト教に改宗した後、二人の妻を持っていることをマタイに非難されたため、マタイの処刑を命じた。マタイが殺されるのを見たヒュルカヌスの顔はほくそえんでいると同時に同情心も隠せないでいる。」というシーンが描かれています。

当該部分を拡大してみましたが、このヒュルヌカス王が自画像なのですか……

物語中の人物に切なさを抱くことはありませんが、描かれた王にも、他の自画像に抱く切なく愛しい思いと同じ印象を見出すことは出来ません。

「ほくそえみつつ同情している」顔は難しい。純粋なカラヴァッジョが王を自画像にすることで、深層に隠された見苦しい本性を自虐的に表現しているのでしょうか。や。当時、ローマで人気の画家から代わって請け負った、ギャラも同等だった仕事に得意がっていたカラヴァッジョです。自分の作品がここに架かる経緯をヒュルカヌス王のキャラクターを借りて、意味深長に描いたのかもしれません。心のコンディション的には“悪戯心”も存分に発揮できた時だったでしょうから。




雨の日のサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会前景は、まるでモノクロームの世界です。教会前に停車するクルマの色と隣に建つルネッサンス様式の建物壁面の色で辛うじて、カラー写真とわかります。

教会も、ファサードは後期ルネッサンス様式と言われています。しかし、普通に歩いていて視野に入る範囲の建物部分は、高層ビルが建ち並ぶ前の大手町で見かけたビジネスビルか、日本橋で訪れるデパートのようです。もちろん、日本の建築が、ルネッサンス様式の影響を受けているのですが、日常的に見慣れた外観と変わらない教会というのも、ワタクシのイメージする教会とは違っています。要は、ウッカリと通り過ぎてしまいそうな外観です。

昨日は、内部の金の装飾に目が留まりましたが、三廊式の中央身廊奥に設えられた主催壇は、案外とシンプルな印象を持ちました。第7回十字軍を指揮したルイ世を祭る教会。絵画中の物語はルイ9世を称える比喩が描かれているのでしょうか。カラヴァッジョの聖マタイ三部作のインパクトが強すぎて、心を掴まれることがありません。

身廊を仕切る列柱はアーチで繋がっています。主催壇に一番近いアーチの奥にカラヴァッジョの作品が展示される礼拝堂があります。この礼拝堂は、コンタレッリ礼拝堂と称します。コンタレッリ礼拝堂を中央身廊を挟んで向かい合う礼拝堂の祭壇には十字架に架けられたキリスト像が設えられています。この像をカラヴァッジョは見ていたのでしょうか。右写真は、そのキリスト像は架かる礼拝堂前の側廊を教会の入口に向かって見た様子です。コンタレッリ礼拝堂が並ぶ側廊も同じですが、金の象嵌はなく、天井は白く、清楚なデザインです。




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