サン・タゴスティーノ教会。ラファエッロとカラヴァッジョに同時に会える教会です。

左は、1512年にラファエッロによって描かれたフレスコ画「預言者イザヤ」です。右はカラヴァッジョ作、「ロレートの聖母(巡礼の聖母)」。1605年の作品です。

まずは、二度目の再訪・再会の歓びをTOP写真で表しました。




サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会を出て、教会を背にして左、教会の前の通りを北上すると、二つ目の交差点を左折。ワンブロックも進まない内に、右側が小さな広場になっていて、広場から繋がる階段上にサン・タゴスティーノ教会があります。

曲線と円形と直線で幾何学的に構成されるファサードが特徴的な教会は、1483年に完成された初期ルネッサンス教会の好例と言われています。

教会正面の三つの扉の一番右から中に入ると、まず、天井の青に目が行き、いきなり、首が疲れる体勢になります。前回訪れたときは、日が暮れた夜の6時過ぎ頃だったので、目当ての作品2点の前に立つだけで、任務遂行気分。周囲を見ていませんでした。雨天でも昼間の教会内部は様々な面を見せてくれます。こんなに天井の青が美しかったことが記憶になく、とても新鮮な印象です。

その中央身廊の先に目をやると、「あー。ここも修復工事中」だと、目が合った足場に軽い落胆です。

足場を除けて主催壇を見ると、上部にはパイプオルガンが設けてあります。そして、そのパイプオルガンよりもさらに高い位置に丸いバラ窓があります。

「初期ルネッサンス教会の好例」と言われる教会内部にバラ窓がある。かまぼこ型の高い天井は深い青色していて、ポツポツと白い点が夜空の星のように見えます。格子模様の間には雲に乗った神様か聖人が描かれています。バラ窓もあるし、ローマ唯一のゴシック様式教会と言われるサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会の内部と似ています。「18〜19世紀の改修により、内部構造にはルネッサンスの面影があまり残っていない」というガイドブックの記述に、なるほど!と思いました。ミネルヴァ教会と似ている印象部分が、18〜19世紀に改修された部分なのだと思います。

入口寄り、左から三番目の柱上部に、ラファエッロによって描かれたフレスコ画、「預言者イザヤ」が存在します。教会様式をガラリと変える改修を経ても、今なお、ここに存在するフレスコ画に感激です。

ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの影響が強く感じられるという説にも、筋肉が盛り上がったイザヤの右腕や左足を見るだけで、同感します。

でも、ミケランジェロとは色調が異なり、色使いは優しく、筆タッチも繊細な感じがします。バランスはラファエッロの方が美しい体型を印象付けている気がします。もちろん、比較して優劣を付ける意味はなく、ただ、ラファエッロらしい風合いを感じることができ、ここに立って見上げる歓びがあるということです。

フレスコ画の下位にはヤコボ・サンソヴィーノによる彫刻「出産の聖母」があります。ラファエッロのフレスコ画よりも9年後に作られました。

生まれたばかりの赤ちゃんを抱いているのが“聖母”。入れ歯が外れて陥没したような笑顔の主は、お産婆さん? いずれにしても、出産の歓びが伝わるシーンです。

ガイドブック等では「巡礼の聖母」と記されることが多い「ロレートの聖母」。
単純に「聖母と巡礼者」ならば、この絵を一言で語るタイトルのように思いますが、作品誕生の背景を読むと、やはり、「ロレートの聖母」が、名称として納得がいきます。

背景とは、伝説によります。伝説は、聖母が生まれ、キリストも幼い頃に過ごしたとされる聖なるナザレの家が、13世紀に天使たちによって空中を飛び、最初はダルマティア、次にロレートに運ばれたことから始まります。その小さなレンガ造りの家は数え切れないほどの巡礼者たちが、奇跡を求め、あるいは神のとりなしを求めて群がったと言われています。また、他の手段がすべて失敗に終わった後の最後の頼みの綱であったり、罪人が悪行を償うために、聴聞司祭から送られて来る場所でもあったとされます。

1604年1月にアドリア海から近いトレンティーノへ出向いたカラヴァッジョが、そのトレンティーノから数キロしか離れていないロレートに立ち寄ったに違いないと推察されています。

1609年当時、あるスコットランド人旅行者は、ロレートの城門に着くと、靴も靴下も脱ぎ、裸足のまま聖堂まで歩いていく姿、両手と両ひざで這って行く姿を何百と見かけたと語っています。

おそらく、それより6年前に訪れたカラヴァッジョも同様の光景を見ていたでしょうし、ロレートの狭い通りで、手足の不自由な人やあらゆる不自由な人々を見たに違いありません。彼も悔悟者としてロレートに巡礼に来たとしたら、こうした飾り気がなく貧相な身なりの巡礼者たちの姿は、彼の心に強い印象を残したと考えられます。

カラヴァッジョは1603年の後半に、サン・タゴスティーノ教会の左側最後列の礼拝堂に飾る「ロレートの聖母」描く注文を受けていました。彼は、ロレート巡礼体験を持って、「聖なる家」に特別な捧げ物をする意味合いで、作品に取り組めたと思われます。

そして、カラヴァッジョのローマ滞在後半に生み出した傑作の1つ、「ロレートの聖母」が完成したのでした。

毅然と立つ美しい聖母のモデルは、恋人で、娼婦をしているレナであろうという推察は有名です。実物を見上げて思いました。ただ美しいだけでなく、凛とした顔つきには慈悲が、肉感的な身体から母性が漂います。

手前の巡礼者の土で黒く汚れた裸足姿は、実際にロレート巡礼体験者ならではの写実表現だと思いました。たとえが相応しくないかもしれませんが、子供の頃、園庭の砂場で土を丸めてお団子作りをすると、土で汚れた掌が黒光りした記憶と、巡礼者の足裏の汚れが重なります。

裸足で聖なる家を訪ね、やっと、手を合わして祈ることが出来る歓びと幸福。聖母に抱かれた幼子は祝福のポーズを取っていると説明されています。祈りを捧げる巡礼の男の目を見ているように見える姿は確かにそうでしょう。

教会に入った入口に一番近い礼拝堂です。キレイな顔立ちの聖母子像彫刻が祭壇中央に置かれています。この礼拝堂は、花や手紙等が沢山、奉納されています。もしかすると、教会内で一番ポピュラーな礼拝堂として、拝観する人々から支持されているのかもしれません。



BACK note・0210 NEXT